トレイルラン関係を中心に日々の出来事や思ったことを書き連ねて行きます。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
石川弘樹さんが復調されて以来初めてのハッピートレイルに参加して伊豆のトレイルに行って来た。ハッピートレイルは石川さんがオススメのトレイルを紹介するというファンランのツーリングイベントであり、コースは走りやすく気持ちよい所が多い。人気も高いため、毎度ながら関東近辺の開催の場合は鬱陶しい申込方法となる。昨年はFaxや抽選だったが、今年は何と現金書留。例によって速攻で申し込んだが、先週くらいでも申し込めたとの話もあり、神戸マラソンなどと重なった影響も大きいようだ。実際、三島駅に着いた時にランナーの格好をした人につられて改札を出たら新東名マラソンの送迎バスの乗り場であり、開催地の修善寺に向かう伊豆箱根鉄道とはまるで逆の方向だった。
コースは大川端キャンプ場〜二本杉峠〜天城峠〜八丁池〜水生地〜道の駅天城越えという約25キロの行程である。通常は楽しむことを主眼にして15キロ強に距離が抑えられるハッピートレイルにしては珍しく、走るハッピートレイルである。昨年の鏑木さんの年末セミナーの天城峠〜八丁池〜万三郎岳往復とかなり重複しており、戸田峠〜天城湯ヶ島かと思って楽しみにしていたので、やや期待はずれな感はあったが、このコースも大変気持ちいいコースである。1000mを越える標高ながら落葉樹と照葉樹が混在するのが天城山の特徴であるが、山の上の方では残念ながら落葉してしまっていた。。。とはいえ、赤いモミジの葉がところどころに散っているトレイルは趣がある。ゴール地点の道の駅天城越え近辺はモミジの庭があり、ちょうど紅葉がきれいだった。最後はタッキーさんイベント恒例の全員とハイタッチ。写真を撮りながらほぼ最後尾にいたので30人以上とのハイタッチとなった。
木漏れ日がいい感じの照葉樹の樹林
標高の高い所は落葉。しかしトレイルはふかふかで気持ちよい
今回シューズにはハセツネの際に買ったアイスバグのセレリタスを初めて試してみたが、軽さはあるものの、総合的にはそれほど感銘を受けなかった。確かにグリップ抜群で場所によってはスピードも出せ、がんがん走れる人には向いていると思うが、マイペースで進む人はもっと安定感のあるシューズの方がレースでも結局は早くなるだろう。この日は雨でつるつるになった木橋で2回ほど派手にこけたが、これはシューズのせいではなく、橋の手前で十分減速しなかった上に、橋の上でブレーキをかけようとしたからである。石川さんが履いていたのはアウトドライのマウンテンマゾヒストだったが、これはファンランにはいいが、レースには向かないとのこと。渡渉があるときに靴全体が水没して水が浸入すると逆に抜けないためである。ただし、ちょっとシューズが濡れる程度であれば全く水が入って来ないので快適だそうだ。
石川さんがキリアンについてもコメントしており、キリアンが走る映像を見て感激したのは、他の選手が真面目に走ってる中で、キリアンだけが遊びながら楽しんで走っている様子だったという。レースしながらも楽しむ、たしかにそれこそがトレイルランニングの醍醐味である。それにしてもトップレベルの中で一人遊べるキリアンはそれだけ余裕があるということなのか。
終了後は修善寺温泉に行き、筥湯(はこゆ)にて入浴。町営で350円ながらゆったりとくつろげた。ただし、石けん・シャンプーがないのと、洗い場が少ないのは留意しておく必要があるが。三島まで出て駅近くの焼き鳥屋にて温泉まで一緒だった人たちとアフター。電車の時間もありそんなに飲み食いしなかったこともあるが、料理は美味しく料金も格安ですばらしいお店だった。なお、隣の席も、その隣も新東名マラソンに出場された方が打ち上げをしていた。朝あまり寝てなかったせいか、飲みながらかなりグロッキーになったが帰りの新幹線にギリギリで乗車。早朝から夜遅くまで一日をフルに使って楽しむことができた。
伊豆箱根鉄道で修善寺へ
ツリークライミングの子供たちからのお見送り&お出迎え
八丁池と遠くに富士山
コースの至る所で散見されるブナの巨木
前日の雨で沢の水量も多く緑が生き生きしている
PR
調布の味の素スタジアムで行われた6時間耐久駅伝に参加した。本来、全く予定には入れていなかったものだが、出場出来なくなった人の代役として数日前に急遽声が掛かった。山が紅葉で染まる時期、トレイルに行かずしてロードというのは若干抵抗もあったが、こちらも月末のつくばマラソンを前にしながらロードの練習を全然やっていなかったので追い込むいい機会と思い参加を決める。
レースは味スタのフィールドと敷地内のスタジアムを周囲を走る1周2キロのコースで行われる。周回ごとに襷を次の走者に渡すか、そのまま続行かを選択できる。今回は5人チームだったが当初は1人2周で回していた。4キロというのが厄介な距離で、途中に給水所があるがそこに寄ってる暇はないし、かといって勢いで一気に回る事もできない。1巡目も2巡目も1周を抑えながら9分で通過して余裕を持ってたつもりが2周目にペースが落ちて18分40秒くらいというペースだった。各自2巡したところで4キロが辛くなってきたので走力のある1人を除き皆1周で回す事になる。
ライバルチームとのゆるい対抗戦という形を取っていたが、途中で周回遅れにさせられたものの、こちらも追い上げ、特に1人1周にしてからどんどん差が縮まる。1周ならば9分を余裕で切る事が可能である。そして、故障リタイアが出たりもあったので最終の走巡は変則的に1周走って次に回した後、また最終周回を走ることになった。最終周回に残る時間は8分10秒程度、レースの序盤ならこのくらいのペースで行ける事もあり、絶対的に不可能なタイムではない。必死で走るも40秒くらいのタイムアウトだったようだ。結局この周回は記録としてカウントされず、一方1分差のライバルチームはカウントされていたため記録上は1周差だが、順位は4位差とあとちょっとのところで残念な結果となった。前半終了時頃は60〜70位差くらいついていたのだが大健闘ともいえるか。
終了後は調布から自宅までゆっくりと帰宅ジョグをすることにした。家に直行せず、駒沢の加圧ジム兼ランニングステーションのPARKに寄って酸素カプセルに入った。酸素カプセル内で心地良さを感じながらウトウトしていると、味スタで自分の順番を待っているような絵が浮かんでくる。やばい、次は自分かとドギマギしたところでいや、駅伝はもう終わったからと気づき目が覚めるという展開を何度も繰り返す。そんなに走り足りていないと深層で判断しているのか。。。
調布から駒沢まで約15キロ、8周16キロ走った6時間駅伝と合わせて30キロ以上走ったことになる。前半インターバル、後半LSDの30キロということでまあマラソン向けのトレーニングにはなったのかな。それにしてもトレラン経験が浅く、ロードトレを主体にやってた頃と比べるとスピード不足に愕然とさせられる。フルマラソンにはスピードも要求されるので非常に辛い。特に景色も沿道の盛り上がりもイマイチなつくばではタイムを狙う以外に目標設定がしづらい。あと2週間、どれだけのことができるか。とりあえずはロードへの危機感を大いに覚えた一日であった。
レースは味スタのフィールドと敷地内のスタジアムを周囲を走る1周2キロのコースで行われる。周回ごとに襷を次の走者に渡すか、そのまま続行かを選択できる。今回は5人チームだったが当初は1人2周で回していた。4キロというのが厄介な距離で、途中に給水所があるがそこに寄ってる暇はないし、かといって勢いで一気に回る事もできない。1巡目も2巡目も1周を抑えながら9分で通過して余裕を持ってたつもりが2周目にペースが落ちて18分40秒くらいというペースだった。各自2巡したところで4キロが辛くなってきたので走力のある1人を除き皆1周で回す事になる。
ライバルチームとのゆるい対抗戦という形を取っていたが、途中で周回遅れにさせられたものの、こちらも追い上げ、特に1人1周にしてからどんどん差が縮まる。1周ならば9分を余裕で切る事が可能である。そして、故障リタイアが出たりもあったので最終の走巡は変則的に1周走って次に回した後、また最終周回を走ることになった。最終周回に残る時間は8分10秒程度、レースの序盤ならこのくらいのペースで行ける事もあり、絶対的に不可能なタイムではない。必死で走るも40秒くらいのタイムアウトだったようだ。結局この周回は記録としてカウントされず、一方1分差のライバルチームはカウントされていたため記録上は1周差だが、順位は4位差とあとちょっとのところで残念な結果となった。前半終了時頃は60〜70位差くらいついていたのだが大健闘ともいえるか。
終了後は調布から自宅までゆっくりと帰宅ジョグをすることにした。家に直行せず、駒沢の加圧ジム兼ランニングステーションのPARKに寄って酸素カプセルに入った。酸素カプセル内で心地良さを感じながらウトウトしていると、味スタで自分の順番を待っているような絵が浮かんでくる。やばい、次は自分かとドギマギしたところでいや、駅伝はもう終わったからと気づき目が覚めるという展開を何度も繰り返す。そんなに走り足りていないと深層で判断しているのか。。。
調布から駒沢まで約15キロ、8周16キロ走った6時間駅伝と合わせて30キロ以上走ったことになる。前半インターバル、後半LSDの30キロということでまあマラソン向けのトレーニングにはなったのかな。それにしてもトレラン経験が浅く、ロードトレを主体にやってた頃と比べるとスピード不足に愕然とさせられる。フルマラソンにはスピードも要求されるので非常に辛い。特に景色も沿道の盛り上がりもイマイチなつくばではタイムを狙う以外に目標設定がしづらい。あと2週間、どれだけのことができるか。とりあえずはロードへの危機感を大いに覚えた一日であった。
神流マウンテンラン&ウォークは地元の盛り上がりとホスピタリティという点においては他の追随を許さないレースである。これだけすばらしい大会となったのは、たしかに大会プロデューサーの鏑木さんの貢献が大きいが、それ以上に神流町がトレイルランニングを受け入れ、町として大会を盛り上げようという姿勢が強い。この大会を盛り上げるために毎年かなりの時間をかけて準備している。さらに、毎年のように新しい取り組みを積極的に行おうとしているのがすばらしい。2300人の町にレース参加者が700人、その家族や応援も含めると町の人口の1/3以上になるだろう。さらに、ボランティアも町民の半数以上というくらいの勢いなのではないか。神流町は御巣鷹山がある上野村の一つ手前にあるが、東京からの距離が100キロもないのにも関わらず、果ての地というイメージすら感じる。
ウェルカムパーティでは毎度のことながら郷土料理とお酒が振る舞われ、今年は特に見知った顔も多かったため、鏑木さんがトレランの忘年会とクリニックで話していた通りの感じだった。ただ、パーティへの参加者が増えたためか、料理はやや足りず、売り切れというものも多かった。今年は昨年のようにNHKの取材は入らず、地元のCATVだけのようである。インタビューを受けたので適当、いや適切に答えておいたが昨年に続き採用される(された)かは不明である。今年の民泊は旧中里村のエリアにあるお宅で、ミドルという朝が早くなくともよいカテゴリーだったため遠い場所になったようである。カメラが趣味というご主人はD700をお持ちの本格派のようだ。例によってパーティでもそれなりに飲んでいたのに民泊のお宅でもビールに日本酒におつまみにと舌鼓を打つ。これがあるからミドルでないと神流は大変なのだ。。。
レース自体はミドルだったので距離も23キロで、ジェルを2つ使ったくらいで補給もほぼなし。雨が懸念されていた天気で、途中から降り出して来たが水分補給もそれほど必要なかった。もう少し遅くゴールした人は本降りになり、またぬかるんでたようだが、幸いにして気持ちいいシャワーという感じだった。ハイドレの代わりとして竹筒を持っていたのが想像以上に走りにくかった。下りで特にバランスが取りにくかったり、転倒時のことを考えて安全走行になったりと、それほど突っ込めなかった。また、シューズがトレランシューズではなく、通常のランニングシューズだったため、地面の突き上げを感じやすかった。途中、同じ女性にロードで抜かれてはトレイル(上りも下りも)で抜き返すという展開が何度も続き、終盤のトレイルで十分差をつけていたつもりが万場の町の入り口の橋の手前で抜かれるということがあった。ランニングシューズなのにフラットな部分でのスピードのなさが悲しくなる。トレイル出口付近で着ていたシャツを脱ぎ、上半身裸で町中を走ってゴール。町の人へのウケはまあまあだった。
レース終了後は、ウェルカムパーティ会場近くの昨年宿泊したお宅でお風呂を借りる。お風呂だけでなく料理なども出していただいたが、あいにく二日酔いでスタートしたせいで胃の中がレース中シェイクされて気持ち悪い状況だったので丁重に遠慮をした。こちらから何も提供しないのに積極的に色々なものを提供していただく、純粋な親切心からされていることとはいえ、あまりの丁寧さにこちらが申し訳なくなってしまうほどである。
帰る前に神流町役場の向かいにある昭和レトロ館に立ち寄った。ここは昭和時代の日用品やポスター等、往時の雰囲気を感じることのできる場所である。この日はレースがあるからということで一日開けていたらしいが、誰も来なかったそうだ。たしかにレース後は町をぶらぶらしようとは思わないので仕方ないが、ゼロというのはやはり寂しい。それでも、コーヒーとお茶を頂きながらお話を伺う事が出来た。第1回大会は狩猟解禁日と重なってしまい大会開催の危機になったが、その危機があったおかげで逆に大会を何としても成功させようという思いが強くなり、無事開催できた経緯があるそうだ。猟友会への通知や藤岡警察には連絡ができていたものの、県警本部に情報が伝わっていなかったがために大会直前に介入してきて大事になったと。他にも町のことについて色々と伺った。今年も前日のそば打ちや鍾乳洞といったイベントものには参加しなかったが、このレースのときと言わず、訪れたいものである。
神流は第2の故郷ような暖かみを感じる事が出来る場所。また来年もぜひ戻ってきたいと思う一方で、同じ人間ばかりが来ても仕方ないので悩ましいところである。そばが提供されるエイドが置かれている持倉集落はほとんどの人が80歳以上という集落であり、5年後、10年後に集落が存続している保証はない。無論、住む人がいなくなろうと、今のコースでレースを開催する限りはエイドが設置されるだろうし、神流の中心地に活力がある限りレースも行われるだろう。しかし、高齢化が最も進んだ町の一つである神流町でいつまでレースが行う活力があるのか、ということは大会で暖かいおもてなしを受けている以上は興味を持ち、維持できるために何ができるか考えていくべきことであると思う。それにしても、年間一つだけしかレースに出るなと言われたら間違いなく神流を選ぶだろう。
ウェルカムパーティでは毎度のことながら郷土料理とお酒が振る舞われ、今年は特に見知った顔も多かったため、鏑木さんがトレランの忘年会とクリニックで話していた通りの感じだった。ただ、パーティへの参加者が増えたためか、料理はやや足りず、売り切れというものも多かった。今年は昨年のようにNHKの取材は入らず、地元のCATVだけのようである。インタビューを受けたので適当、いや適切に答えておいたが昨年に続き採用される(された)かは不明である。今年の民泊は旧中里村のエリアにあるお宅で、ミドルという朝が早くなくともよいカテゴリーだったため遠い場所になったようである。カメラが趣味というご主人はD700をお持ちの本格派のようだ。例によってパーティでもそれなりに飲んでいたのに民泊のお宅でもビールに日本酒におつまみにと舌鼓を打つ。これがあるからミドルでないと神流は大変なのだ。。。
レース自体はミドルだったので距離も23キロで、ジェルを2つ使ったくらいで補給もほぼなし。雨が懸念されていた天気で、途中から降り出して来たが水分補給もそれほど必要なかった。もう少し遅くゴールした人は本降りになり、またぬかるんでたようだが、幸いにして気持ちいいシャワーという感じだった。ハイドレの代わりとして竹筒を持っていたのが想像以上に走りにくかった。下りで特にバランスが取りにくかったり、転倒時のことを考えて安全走行になったりと、それほど突っ込めなかった。また、シューズがトレランシューズではなく、通常のランニングシューズだったため、地面の突き上げを感じやすかった。途中、同じ女性にロードで抜かれてはトレイル(上りも下りも)で抜き返すという展開が何度も続き、終盤のトレイルで十分差をつけていたつもりが万場の町の入り口の橋の手前で抜かれるということがあった。ランニングシューズなのにフラットな部分でのスピードのなさが悲しくなる。トレイル出口付近で着ていたシャツを脱ぎ、上半身裸で町中を走ってゴール。町の人へのウケはまあまあだった。
レース終了後は、ウェルカムパーティ会場近くの昨年宿泊したお宅でお風呂を借りる。お風呂だけでなく料理なども出していただいたが、あいにく二日酔いでスタートしたせいで胃の中がレース中シェイクされて気持ち悪い状況だったので丁重に遠慮をした。こちらから何も提供しないのに積極的に色々なものを提供していただく、純粋な親切心からされていることとはいえ、あまりの丁寧さにこちらが申し訳なくなってしまうほどである。
帰る前に神流町役場の向かいにある昭和レトロ館に立ち寄った。ここは昭和時代の日用品やポスター等、往時の雰囲気を感じることのできる場所である。この日はレースがあるからということで一日開けていたらしいが、誰も来なかったそうだ。たしかにレース後は町をぶらぶらしようとは思わないので仕方ないが、ゼロというのはやはり寂しい。それでも、コーヒーとお茶を頂きながらお話を伺う事が出来た。第1回大会は狩猟解禁日と重なってしまい大会開催の危機になったが、その危機があったおかげで逆に大会を何としても成功させようという思いが強くなり、無事開催できた経緯があるそうだ。猟友会への通知や藤岡警察には連絡ができていたものの、県警本部に情報が伝わっていなかったがために大会直前に介入してきて大事になったと。他にも町のことについて色々と伺った。今年も前日のそば打ちや鍾乳洞といったイベントものには参加しなかったが、このレースのときと言わず、訪れたいものである。
神流は第2の故郷ような暖かみを感じる事が出来る場所。また来年もぜひ戻ってきたいと思う一方で、同じ人間ばかりが来ても仕方ないので悩ましいところである。そばが提供されるエイドが置かれている持倉集落はほとんどの人が80歳以上という集落であり、5年後、10年後に集落が存続している保証はない。無論、住む人がいなくなろうと、今のコースでレースを開催する限りはエイドが設置されるだろうし、神流の中心地に活力がある限りレースも行われるだろう。しかし、高齢化が最も進んだ町の一つである神流町でいつまでレースが行う活力があるのか、ということは大会で暖かいおもてなしを受けている以上は興味を持ち、維持できるために何ができるか考えていくべきことであると思う。それにしても、年間一つだけしかレースに出るなと言われたら間違いなく神流を選ぶだろう。
神流から一夜が明けた本日、原宿のTNFストアで行われた鏑木さんのイベントに参加した。今年のUTMBのことを中心としたお話を45分ほど。終了後は鏑木さんを囲みながらビール、おつまみを片手に懇談会形式。トレラン未経験の方も2人くらいいたが、40人くらいの参加者はほぼ全員が鏑木さんについて詳しい面々。神流に出た人も半数くらいで若干鏑木さんがやりにくそうだった。なるほど、会場は神流で見かけた顔がゴロゴロいる。
お題はUTMBであるが、鏑木さんがUTMBに懸ける思いやどういう思い出今年のレースを完走したか、メディアに出てる事や出てない事も含め、本音を聞く事ができ大変貴重な機会であった。特に、30人程度で鏑木さんと直接お話ができるような機会はありそうで、あまりなかった場だと思う。テーマ曲について語るときの生きいきした表情が印象的であった。来る(?)UTMFにも同等のテーマができればいいということだった。
食生活の話で、日頃から炭水化物を少なめにして糖エネルギーを欠乏気味にして脂肪の燃焼効率が高まるように工夫している事など、日頃やレース中の食事に関する話がかなり興味深いところだった。TNFのお店で選手に対して聞くのははばかれつつも、あとどのくらいUTMBに挑戦されるのかを伺ったが、納得して区切りを打てるレースができたらということだった。とはいえ、UTMB以上のレースもあまりないので卒業が難しいようだ。3位になった2009年がミスコースさえなければというところだが、今後その時を上回る絶好の機会が現れることはあるのだろうか。終止符を打つのが難しいのはトップ選手であるが故の苦労だろう。
お題はUTMBであるが、鏑木さんがUTMBに懸ける思いやどういう思い出今年のレースを完走したか、メディアに出てる事や出てない事も含め、本音を聞く事ができ大変貴重な機会であった。特に、30人程度で鏑木さんと直接お話ができるような機会はありそうで、あまりなかった場だと思う。テーマ曲について語るときの生きいきした表情が印象的であった。来る(?)UTMFにも同等のテーマができればいいということだった。
食生活の話で、日頃から炭水化物を少なめにして糖エネルギーを欠乏気味にして脂肪の燃焼効率が高まるように工夫している事など、日頃やレース中の食事に関する話がかなり興味深いところだった。TNFのお店で選手に対して聞くのははばかれつつも、あとどのくらいUTMBに挑戦されるのかを伺ったが、納得して区切りを打てるレースができたらということだった。とはいえ、UTMB以上のレースもあまりないので卒業が難しいようだ。3位になった2009年がミスコースさえなければというところだが、今後その時を上回る絶好の機会が現れることはあるのだろうか。終止符を打つのが難しいのはトップ選手であるが故の苦労だろう。
プロフィール
HN:
hh*
性別:
男性
つぶやき
海外トレイル情報