トレイルラン関係を中心に日々の出来事や思ったことを書き連ねて行きます。
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先月のOSJサマーキャンプに引き続き2回目の富士登山をした。前回は日中に登ったからご来光は拝んでいないし遅かったせいでお鉢巡りもできていないという不完全燃焼の感があった。しかし、他の予定が週末にあったりで行けずにいた。この3連休もどこに行くかは決めていなかったが、遠めのところにでも行こうかと漠然と考えていた。しかし、急遽ここで行かないと今シーズンは行けない可能性が高くなるとの焦りと、富士山に登頂した後は信越五岳の応援に行けばいいやという思いから2日前くらいに富士山行きを決めた。
0時に家を出発し、東名をひたすら西へと向かう。御殿場で降りて須走に向かう途中のコンビニで水や食料を買い込む。店員に富士山へ行くんですか、なんて聞かれた。夜中にこんな買い物するのはそれ以外ありえないか。2時半に須走口五合目に到着したが、真っ暗な中で準備に時間がかかり出発したのは結局3時過ぎである。一刻も早く出発しないとご来光に間に合わないとの思いから写真を撮ってる時間がなかったが、満点の星空の下に御殿場市や周辺の街の夜景が浮かぶ様は非常に美しかった。富士登頂ができない時期でもここに夜景を見に来る価値は十分にある。
閉山していたとはいえ、登山者はかなりの数がいたし、団体もいた。フリースにウインドストッパーのシェル、ニットキャップという格好で登ったが、8合目付近で強風はあったものの、凍えるような寒さはなかった。まだまだ今年に限っては登れそうであった。ただし今回は頂上の気温等の状況も分からないし、山小屋が閉まって補給ができないことを考え、5年前に屋久島に行ったとき以来となる登山用リュックを投入した。荷物を詰め込んだこともありトレランリュックと比べると重さが堪える。
富士山に行くと決めてから急遽手に入れた500ルーメンの高出力ハンドライトGENTOS 閃 SG500の破壊力はすさまじく、視界が完全にクリアに照らされていた。まったく足元には不安がなかったし、これだけクリアに照らされると走る場合でも十分な視野が確保される。非常に明るいため霧がかかってきたところでは草などの影が霧に写りこみ、ブロッケンの妖怪を作り出していた。
河口湖口から登るのと大して時間はかからないだろうと思っていたが、距離がこちらの方が長いようで結局7合目付近で徐々に空が明るくなり、ご来光の時間となった。雲海の中に山がところどころ突き出し、山中湖や相模湾が朝日に染まっている様子は幻想的だった。特に、金色に輝く海の中に江ノ島が浮かんでいた。望遠レンズをもっていなかったのでその写真はなし。その後は頂上を目指して上り続ける。本八合目あたりから手が痺れ出し、頭も多少痛く、典型的な高山病の症状に悩まされることになる。山小屋が閉じているので荷物を多めに持っていたとはいえ普通の登山者よりも完全に遅くなっていた。特に頂上手前では目の前なのに体が重く、登頂を本気であきらめようかとも思った。
何とかスタートから4時間50分が経ったところで登りきり、頂上でおにぎりを食べながら大休止した。だんだん気分がよくなってきたのでお鉢巡りに向かい、剣が峰(3776m地点)にも今回は立つことができた。富士宮口頂上の浅間神社奥社で信越五岳に参加されている皆さんの健闘を祈願し、下山を始める。下りでは滑って手のひらを激しくすりむいた。ガレ場を通る際は走る場合も歩く場合も手袋は必携である。また、絆創膏をもっていなかったので他の登山客から頂いた。やはり消毒液・絆創膏・テーピングの3点セットは常に携行しなければならないと反省した。そのケガによるタイムロスはあったものの、下りは2時間かからなかった。
7合目辺りからガスの中に入った。これは以前行った富士箱根トレイルと同じである。このエリアは霧が発生しやすいようだ。上りのときは暗くてよく分からなかったが、須走登山口の下部は富士箱根トレイルと同様の景色・路面である。同じエリアにあるので当然ではあるが。先日の台風で小山町の洪水が大きく報じられていたが、ここのトレイルも一部崩れていたりと被害の爪跡が残されていた。
下山後は山中湖の紅富士の湯に向かう。さらに入浴後は昼食を大豊で食べるという鉄板コースに行きたかったが、残念ながら昼の営業が終わったところだったので食事にありつけず。そのまま信越五岳の会場に向かうべく、中央高速に乗り斑尾へとひたすら向かう。仮眠すらしてなかったので途中何度も意識が飛びそうになり、そのたびに近くのSA・PAに避難して休憩した。斑尾に着いたのが20時。あわよくばウェルカムパーティにもぐこもうと思っていたがそのままホテルへ向かうことになる。確実にスタート前に会場に行くために早めに就寝。
0時に家を出発し、東名をひたすら西へと向かう。御殿場で降りて須走に向かう途中のコンビニで水や食料を買い込む。店員に富士山へ行くんですか、なんて聞かれた。夜中にこんな買い物するのはそれ以外ありえないか。2時半に須走口五合目に到着したが、真っ暗な中で準備に時間がかかり出発したのは結局3時過ぎである。一刻も早く出発しないとご来光に間に合わないとの思いから写真を撮ってる時間がなかったが、満点の星空の下に御殿場市や周辺の街の夜景が浮かぶ様は非常に美しかった。富士登頂ができない時期でもここに夜景を見に来る価値は十分にある。
閉山していたとはいえ、登山者はかなりの数がいたし、団体もいた。フリースにウインドストッパーのシェル、ニットキャップという格好で登ったが、8合目付近で強風はあったものの、凍えるような寒さはなかった。まだまだ今年に限っては登れそうであった。ただし今回は頂上の気温等の状況も分からないし、山小屋が閉まって補給ができないことを考え、5年前に屋久島に行ったとき以来となる登山用リュックを投入した。荷物を詰め込んだこともありトレランリュックと比べると重さが堪える。
富士山に行くと決めてから急遽手に入れた500ルーメンの高出力ハンドライトGENTOS 閃 SG500の破壊力はすさまじく、視界が完全にクリアに照らされていた。まったく足元には不安がなかったし、これだけクリアに照らされると走る場合でも十分な視野が確保される。非常に明るいため霧がかかってきたところでは草などの影が霧に写りこみ、ブロッケンの妖怪を作り出していた。
河口湖口から登るのと大して時間はかからないだろうと思っていたが、距離がこちらの方が長いようで結局7合目付近で徐々に空が明るくなり、ご来光の時間となった。雲海の中に山がところどころ突き出し、山中湖や相模湾が朝日に染まっている様子は幻想的だった。特に、金色に輝く海の中に江ノ島が浮かんでいた。望遠レンズをもっていなかったのでその写真はなし。その後は頂上を目指して上り続ける。本八合目あたりから手が痺れ出し、頭も多少痛く、典型的な高山病の症状に悩まされることになる。山小屋が閉じているので荷物を多めに持っていたとはいえ普通の登山者よりも完全に遅くなっていた。特に頂上手前では目の前なのに体が重く、登頂を本気であきらめようかとも思った。
何とかスタートから4時間50分が経ったところで登りきり、頂上でおにぎりを食べながら大休止した。だんだん気分がよくなってきたのでお鉢巡りに向かい、剣が峰(3776m地点)にも今回は立つことができた。富士宮口頂上の浅間神社奥社で信越五岳に参加されている皆さんの健闘を祈願し、下山を始める。下りでは滑って手のひらを激しくすりむいた。ガレ場を通る際は走る場合も歩く場合も手袋は必携である。また、絆創膏をもっていなかったので他の登山客から頂いた。やはり消毒液・絆創膏・テーピングの3点セットは常に携行しなければならないと反省した。そのケガによるタイムロスはあったものの、下りは2時間かからなかった。
7合目辺りからガスの中に入った。これは以前行った富士箱根トレイルと同じである。このエリアは霧が発生しやすいようだ。上りのときは暗くてよく分からなかったが、須走登山口の下部は富士箱根トレイルと同様の景色・路面である。同じエリアにあるので当然ではあるが。先日の台風で小山町の洪水が大きく報じられていたが、ここのトレイルも一部崩れていたりと被害の爪跡が残されていた。
下山後は山中湖の紅富士の湯に向かう。さらに入浴後は昼食を大豊で食べるという鉄板コースに行きたかったが、残念ながら昼の営業が終わったところだったので食事にありつけず。そのまま信越五岳の会場に向かうべく、中央高速に乗り斑尾へとひたすら向かう。仮眠すらしてなかったので途中何度も意識が飛びそうになり、そのたびに近くのSA・PAに避難して休憩した。斑尾に着いたのが20時。あわよくばウェルカムパーティにもぐこもうと思っていたがそのままホテルへ向かうことになる。確実にスタート前に会場に行くために早めに就寝。
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