トレイルラン関係を中心に日々の出来事や思ったことを書き連ねて行きます。
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神流マウンテンラン&ウォークの試走に行った。コースの詳細はコースネタバレ編で。土曜日はテニスの予定があっため、試走に行くかも迷いながら荷物だけ用意してテニスへ行くという状況だった。さらにテニスのゲーム中に足首に痛みが走ったりもしていたが、大会前に試走する唯一のチャンスだったので試走に行くことを決断。15時半頃に神流町に向けて出発し、試走用の行動食等の買い込みをしながらも3時間ほどで到着。高速を降りたあたりで日が暮れ、神流湖のところの下久保ダムに着くまでには真っ暗になっていた。日中であればすばらしい景観の渓谷がここから続くところである。
神流町では女将さんのブログで知った今井屋旅館に宿泊。当日の午後の宿泊希望連絡にも対応していただいた。この日宿泊していた女将さんを大会事務局長が訪ねてきていところに偶然お会いし、この大会にかける思いを色々と伺った。大会参加者のために数多くのサプライズを用意しているとのこと。あまりの熱の入りようにそこまでしていたただかなくても、とこちらが逆に申し訳なくなってしまうぐらいであるが、当日が非常に楽しみである。ボランティアスタッフも町民の1割以上が参加していただけるということで、本当に町全体で盛り上げようとしていることを実感。
鏑木さんのセミナーやイベントにはよく参加しているのでみかぼ高原荘に宿泊しているご一行にはご挨拶するまでもないと思っていたが、せっかくなのでということでみかぼ高原荘まで山道を走り(もちろん車で)、鏑木さんとOSJ試走ツアーご一行に挨拶。すでにお酒も回って出来上がっているメンバーがカラオケしていて、一曲歌うはめになったが何とかしらけさせずに乗り切る。試走ツアーで回る後半部は気持ちのいいコースでおもしろいという話を聞いたので気持ちが少々揺れ動いたが、一行の顔も見れたということで満足して試走ツアー2日目には参加せず、一人でコースを回ることにした。
予定より遅くなり8時半頃になって出発した。町の方々が掃除をされたりで至る所で集まっていたが、声を掛けていただく。住民の中でも大会の認知度は高く、また神流の方々の温かさを感じた。
途中、西みかぼへ登るところ(当日はロングの部のエイドがある)から出発して途中まで行って戻るという4人組と、下から登ってきてコースを全部回るという2人組の試走者に出会う。後者の二人は林道などではペースが速くて、軽く追い越されたが、休憩中に抜いたりで何度か出会うことになる。何かアクシデントがあったのかその2人は持倉集落手前で完全にペースダウンしていた。逆にこちらは荷物が軽くなって走れるようになってきたのでそこから先では見かけていない。
残り5kmを過ぎた激坂を下ったところで下に人影が見えたが、服装からハイカーかなと思いきや、OSJ試走ツアーの参加者でFプロがスイーパーとしてついていた。少し会話をした後に抜かし、後はつづら折れのトレイルを下って里に出る。
そしてゴールへ向けて快調に走っているとまた2人のトレイルランナーを発見。誰かと思えば一人は鏑木さん。先ほどの人たち以外で最後尾の人と併走して走っていたのであった。そしてゴール目の前で追いつく。その後はバスでみかぼ高原荘に戻る皆さんに便乗させていただいて入浴&食事。とてもおいしい蕎麦が食べることができた。結果としては前日に挨拶をして来ていることをアピールしていたのが良かったか。
帰りの関越道も多少の渋滞はあったものの、2時間半強で帰宅できた。神流町は丹沢や奥多摩と比べると遠いが、比較的近いのがいいところである。車で行く場合に限っては奥多摩(雲取方面)とそんなに時間的な違いはないかもしれない。今回の試走でコースは把握できたので本番はぜひがっつりと走りたい。
神流町では女将さんのブログで知った今井屋旅館に宿泊。当日の午後の宿泊希望連絡にも対応していただいた。この日宿泊していた女将さんを大会事務局長が訪ねてきていところに偶然お会いし、この大会にかける思いを色々と伺った。大会参加者のために数多くのサプライズを用意しているとのこと。あまりの熱の入りようにそこまでしていたただかなくても、とこちらが逆に申し訳なくなってしまうぐらいであるが、当日が非常に楽しみである。ボランティアスタッフも町民の1割以上が参加していただけるということで、本当に町全体で盛り上げようとしていることを実感。
鏑木さんのセミナーやイベントにはよく参加しているのでみかぼ高原荘に宿泊しているご一行にはご挨拶するまでもないと思っていたが、せっかくなのでということでみかぼ高原荘まで山道を走り(もちろん車で)、鏑木さんとOSJ試走ツアーご一行に挨拶。すでにお酒も回って出来上がっているメンバーがカラオケしていて、一曲歌うはめになったが何とかしらけさせずに乗り切る。試走ツアーで回る後半部は気持ちのいいコースでおもしろいという話を聞いたので気持ちが少々揺れ動いたが、一行の顔も見れたということで満足して試走ツアー2日目には参加せず、一人でコースを回ることにした。
予定より遅くなり8時半頃になって出発した。町の方々が掃除をされたりで至る所で集まっていたが、声を掛けていただく。住民の中でも大会の認知度は高く、また神流の方々の温かさを感じた。
途中、西みかぼへ登るところ(当日はロングの部のエイドがある)から出発して途中まで行って戻るという4人組と、下から登ってきてコースを全部回るという2人組の試走者に出会う。後者の二人は林道などではペースが速くて、軽く追い越されたが、休憩中に抜いたりで何度か出会うことになる。何かアクシデントがあったのかその2人は持倉集落手前で完全にペースダウンしていた。逆にこちらは荷物が軽くなって走れるようになってきたのでそこから先では見かけていない。
残り5kmを過ぎた激坂を下ったところで下に人影が見えたが、服装からハイカーかなと思いきや、OSJ試走ツアーの参加者でFプロがスイーパーとしてついていた。少し会話をした後に抜かし、後はつづら折れのトレイルを下って里に出る。
そしてゴールへ向けて快調に走っているとまた2人のトレイルランナーを発見。誰かと思えば一人は鏑木さん。先ほどの人たち以外で最後尾の人と併走して走っていたのであった。そしてゴール目の前で追いつく。その後はバスでみかぼ高原荘に戻る皆さんに便乗させていただいて入浴&食事。とてもおいしい蕎麦が食べることができた。結果としては前日に挨拶をして来ていることをアピールしていたのが良かったか。
帰りの関越道も多少の渋滞はあったものの、2時間半強で帰宅できた。神流町は丹沢や奥多摩と比べると遠いが、比較的近いのがいいところである。車で行く場合に限っては奥多摩(雲取方面)とそんなに時間的な違いはないかもしれない。今回の試走でコースは把握できたので本番はぜひがっつりと走りたい。
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今日は1年ぶりに月例川崎マラソンに行こうと思っていたが寝坊して結局行けず。現在のレベルを知るために近いうちに5kmや10kmのタイムトライアルをしておきたいところである。
信越五岳の分析と運営について感じたことを書く。
□ゴールタイムの分析
信越五岳トレイルランニングレースは出場していない大会だが気になったのでゴールタイムの分析を行った。各選手の関門通過タイムは公表されていないため、ゴールタイムのヒストグラムのみ示す。棒はその時刻から10分後までにゴールした人数、折れ線はその時刻の時点でゴールした人数の、完走者数(384人)に対する割合である。つまりその時刻の手前までの棒の人数を合計して384で割ったパーセンテージとなる。 他のレースは平均の山がゴールタイム中ほどにあるのが一般的だが、このレースの場合何と末広がりで制限時間に近いところほど多くの人がゴールしている。ただし、このグラフに完走できていない30%の選手が右側に上位30%と線対称にプロットされるとすると意外と正規分布の形になりそうでもある。21時間40分~50分でゴールした人が37人と圧倒的に多く、完走者が384人なのでほぼ10%をこの10分間が占めている。また、半数以上は19時間40分以降のゴールである。統計上の以下の代表的指標が見事にばらけている。
□平均値 16時間30分
□中央値 19時間40分
□最頻値 21時間40分
このレースの場合は最頻値がもっとも代表的なポイントになると思う。多くの人が制限時間と闘いながら完走したという特徴が表されている。単純に走力にものをいわせてゴールタイムが決まる短いレースとは違い、長距離のレースで多くの人がどこかにトラブルをかかえていたので、制限時間ぎりぎりでゴールできればいいという考えで走っていたことがこのようなゴールタイムの分布になった理由かと思う。早くゴールすることより、確実にゴールにたどりつくこと、これが図らずも大半のランナーのテーマになっていたのではないか。知り合いの中でも、がんがん突っ込んでいく男性陣の不調とマイペースで進む女性陣の健闘が目立ったレースであった。
□運営について
この大会は総合的に見て大変すばらしい大会で、日本で最も完走する価値のある大会であるが、傍から見ていて運営にはまだまだ改善すべき点があるかなと思う。もちろん運営面の不備はこのレースに限らず、大概のトレイルレースについていえることなのかもしれないが。
①ボランティアスタッフについて
人手不足のせいか、たまたまお話したボランティアスタッフの方は昼から深夜まで拘束されるということで大変そうだった。一応二人一組ではあるが、同じ場所に長時間張り付けでいいのかは疑問である。そこは戸隠神社だったのでまだよかった(といってもそこですら参道脇のお店が閉まった後は漆黒の闇に包まれるが)が、特に熊が出る山の中に長時間いた方はより大変だっただろう。
②コースについて
パワースポットとして大人気の戸隠付近のコース設定は再検討すべきところであるかと。6A過ぎて車道を比較的長く走るが、交通量がかなり多かったし、その後に人がごった返している戸隠神社の参道を走っていくのはお互いに大変である。ただ、3連休とはいえ、7月末に試走会で行ったときは大して人がいなかった奥社がなぜあんなに混んでいたのかは謎。
③スタート時間について
110kmを走ってきた選手のゴールには大いに感動したが、多くの選手のゴールが深夜となるのはいまいち盛り上がりに欠ける気がする。スタートの盛り上がりと比べると、ゴール後は宿舎に戻るバスへと追い立てられ、余韻に浸っている時間がない。夕方18:00~19:00スタートの方が以下の点からも合理的なのではと思った。
・トップは夜明けとともにゴール、最後尾が夕暮れ前にゴールとなり、全員が明るい時間にゴール
・斑尾山のあたりはまだ体力があるうちに通過するので夜間走行でも問題なし
・関川沿いの道も夜間であれば暑くないし、山岳区間と比べて夜間走行が比較的安全
・5A以降の山岳区間では遅い人の到着時には夜が明けている
これについては年々距離が伸びるといううわさもあるのでスタート時間、制限時間については何らかの変更があるかもしれない。
④地元の協力体制
元々スキーリゾートの土地をつないだコースなので集落と隣接しているような場所は、関川沿いのところぐらいしかなく、人里と関係なくレースが行われている感は否めない。地元住民によるボランティアの確保やコース整備、沿道の応援といったものが目に見える形でほしいところである。それが大変難しいことはわかっているが。
色々と書き連ねてきたが、総合的に見て日本で最もすばらしいレースであることには変わりないので来年はぜひ参加したい。
信越五岳の分析と運営について感じたことを書く。
□ゴールタイムの分析
信越五岳トレイルランニングレースは出場していない大会だが気になったのでゴールタイムの分析を行った。各選手の関門通過タイムは公表されていないため、ゴールタイムのヒストグラムのみ示す。棒はその時刻から10分後までにゴールした人数、折れ線はその時刻の時点でゴールした人数の、完走者数(384人)に対する割合である。つまりその時刻の手前までの棒の人数を合計して384で割ったパーセンテージとなる。 他のレースは平均の山がゴールタイム中ほどにあるのが一般的だが、このレースの場合何と末広がりで制限時間に近いところほど多くの人がゴールしている。ただし、このグラフに完走できていない30%の選手が右側に上位30%と線対称にプロットされるとすると意外と正規分布の形になりそうでもある。21時間40分~50分でゴールした人が37人と圧倒的に多く、完走者が384人なのでほぼ10%をこの10分間が占めている。また、半数以上は19時間40分以降のゴールである。統計上の以下の代表的指標が見事にばらけている。
□平均値 16時間30分
□中央値 19時間40分
□最頻値 21時間40分
このレースの場合は最頻値がもっとも代表的なポイントになると思う。多くの人が制限時間と闘いながら完走したという特徴が表されている。単純に走力にものをいわせてゴールタイムが決まる短いレースとは違い、長距離のレースで多くの人がどこかにトラブルをかかえていたので、制限時間ぎりぎりでゴールできればいいという考えで走っていたことがこのようなゴールタイムの分布になった理由かと思う。早くゴールすることより、確実にゴールにたどりつくこと、これが図らずも大半のランナーのテーマになっていたのではないか。知り合いの中でも、がんがん突っ込んでいく男性陣の不調とマイペースで進む女性陣の健闘が目立ったレースであった。
□運営について
この大会は総合的に見て大変すばらしい大会で、日本で最も完走する価値のある大会であるが、傍から見ていて運営にはまだまだ改善すべき点があるかなと思う。もちろん運営面の不備はこのレースに限らず、大概のトレイルレースについていえることなのかもしれないが。
①ボランティアスタッフについて
人手不足のせいか、たまたまお話したボランティアスタッフの方は昼から深夜まで拘束されるということで大変そうだった。一応二人一組ではあるが、同じ場所に長時間張り付けでいいのかは疑問である。そこは戸隠神社だったのでまだよかった(といってもそこですら参道脇のお店が閉まった後は漆黒の闇に包まれるが)が、特に熊が出る山の中に長時間いた方はより大変だっただろう。
②コースについて
パワースポットとして大人気の戸隠付近のコース設定は再検討すべきところであるかと。6A過ぎて車道を比較的長く走るが、交通量がかなり多かったし、その後に人がごった返している戸隠神社の参道を走っていくのはお互いに大変である。ただ、3連休とはいえ、7月末に試走会で行ったときは大して人がいなかった奥社がなぜあんなに混んでいたのかは謎。
③スタート時間について
110kmを走ってきた選手のゴールには大いに感動したが、多くの選手のゴールが深夜となるのはいまいち盛り上がりに欠ける気がする。スタートの盛り上がりと比べると、ゴール後は宿舎に戻るバスへと追い立てられ、余韻に浸っている時間がない。夕方18:00~19:00スタートの方が以下の点からも合理的なのではと思った。
・トップは夜明けとともにゴール、最後尾が夕暮れ前にゴールとなり、全員が明るい時間にゴール
・斑尾山のあたりはまだ体力があるうちに通過するので夜間走行でも問題なし
・関川沿いの道も夜間であれば暑くないし、山岳区間と比べて夜間走行が比較的安全
・5A以降の山岳区間では遅い人の到着時には夜が明けている
これについては年々距離が伸びるといううわさもあるのでスタート時間、制限時間については何らかの変更があるかもしれない。
④地元の協力体制
元々スキーリゾートの土地をつないだコースなので集落と隣接しているような場所は、関川沿いのところぐらいしかなく、人里と関係なくレースが行われている感は否めない。地元住民によるボランティアの確保やコース整備、沿道の応援といったものが目に見える形でほしいところである。それが大変難しいことはわかっているが。
色々と書き連ねてきたが、総合的に見て日本で最もすばらしいレースであることには変わりないので来年はぜひ参加したい。
先日の信越五岳に出場したため来日していたKrissy Moehl(クリッシー・モール)のスピーチが昨日パタゴニア渋谷店であったので行ってきた。数年前はよくぶらぶらしていてパタゴニアのあるキャットストリートもすっかり真新しい建物が増え、この街の変化の速さやエネルギーを感じた。この界隈のきれいな建物の火付け役となっていたhh-styleは先日閉店し、今ではキディランドになっていた。
今回のスピーチは、彼女を日本に招待した石川弘樹さんも参加しているという豪華な会であった。閉店後の店の前には参加者がたまっていたが、偶然待っていた位置がよかったせいか受付が早く済み、目の前を陣取ることができた。参加者には、信越五岳の余韻に浸っていて、打ち上げ気分の人も多かったようだ。何しろクリッシーの話は信越五岳に出た人起立!から始まった。
話の内容としては、最近仕事を辞めてトレランに専念し始めたことや、トレランフィールド、ランニング仲間の紹介、レースのことなどであった。トレランフィールドについては、スライドが何枚も写されていたSeattleの近くのEnchantmentという場所が印象的だった。そのまま日本語にすると魅了。何とも気になる。レースに関してはUTMBの話や自身が関係しているchukanut 50kという3月に開かれているレース紹介などをしていた。レース前にはゲン担ぎとしてペディキュアを一生懸命塗っているという可愛らしい側面も見せていた。信越五岳のレースでは腸脛靭帯を痛めて15kmぐらいはきつい状況の中ゴールまでたどり着いたという話もあった。
今回の来日でのエピソードとしては、信越五岳の前夜祭で和太鼓に挑戦している様子や、ドクターフィッシュで強心臓に見える彼女がおっかなびっくりに足を入れている様子が紹介されていた。
クリッシーの話の後は石川弘樹さんが彼女との出会いやレースでのエピソードを語っていた。2003年にハセツネに来日してハセツネに出場したことや、Western Statesのレースで石川さんのペーサーを務めていた話などがあった。クリッシーの真似をしてボトルを両手で持つのは構わないが、最初は平坦なところから始めましょうという注意もあった。大山登山マラソンの試走や青梅高水のレース、先月のOSJトレランレッスンで手持ちボトルはやったことがあるが、確かに日頃からダンベルをやっていないときついかもしれないし、転倒時は危険である。
スピーチ後に質問コーナーが長く取られていて、トレーニング方法や食生活などいろいろな話をしてくれた。ベジタリアンだった時期もあったが、最近では何でも食べるようになったとのこと。せっかくの機会だったのでレースで辛い状況のときにどうやってゴールまでたどり着こうとしているか聞いてみた。辛い中でも彼女の中にはストップという選択肢はないこと、置かれた状況下で一つ一つできるベストなことを積み重ねていくことがゴールにつながるという回答を頂く。面白い講演内容のときに質問の時間が長いのはすばらしいことである。
終了後はサイン&記念撮影タイムが大盛況だったが、カメラを持っていなかったので写真はあきらめ、戸隠奥社前で撮った写真にサインだけもらった。2Aを過ぎ車道を渡った先での"Have a nice race!" "Thank you."のやり取りは覚えていただいていたようだ。内容が盛りだくさんで非常に満足できた。
今回のスピーチは、彼女を日本に招待した石川弘樹さんも参加しているという豪華な会であった。閉店後の店の前には参加者がたまっていたが、偶然待っていた位置がよかったせいか受付が早く済み、目の前を陣取ることができた。参加者には、信越五岳の余韻に浸っていて、打ち上げ気分の人も多かったようだ。何しろクリッシーの話は信越五岳に出た人起立!から始まった。
話の内容としては、最近仕事を辞めてトレランに専念し始めたことや、トレランフィールド、ランニング仲間の紹介、レースのことなどであった。トレランフィールドについては、スライドが何枚も写されていたSeattleの近くのEnchantmentという場所が印象的だった。そのまま日本語にすると魅了。何とも気になる。レースに関してはUTMBの話や自身が関係しているchukanut 50kという3月に開かれているレース紹介などをしていた。レース前にはゲン担ぎとしてペディキュアを一生懸命塗っているという可愛らしい側面も見せていた。信越五岳のレースでは腸脛靭帯を痛めて15kmぐらいはきつい状況の中ゴールまでたどり着いたという話もあった。
今回の来日でのエピソードとしては、信越五岳の前夜祭で和太鼓に挑戦している様子や、ドクターフィッシュで強心臓に見える彼女がおっかなびっくりに足を入れている様子が紹介されていた。
クリッシーの話の後は石川弘樹さんが彼女との出会いやレースでのエピソードを語っていた。2003年にハセツネに来日してハセツネに出場したことや、Western Statesのレースで石川さんのペーサーを務めていた話などがあった。クリッシーの真似をしてボトルを両手で持つのは構わないが、最初は平坦なところから始めましょうという注意もあった。大山登山マラソンの試走や青梅高水のレース、先月のOSJトレランレッスンで手持ちボトルはやったことがあるが、確かに日頃からダンベルをやっていないときついかもしれないし、転倒時は危険である。
スピーチ後に質問コーナーが長く取られていて、トレーニング方法や食生活などいろいろな話をしてくれた。ベジタリアンだった時期もあったが、最近では何でも食べるようになったとのこと。せっかくの機会だったのでレースで辛い状況のときにどうやってゴールまでたどり着こうとしているか聞いてみた。辛い中でも彼女の中にはストップという選択肢はないこと、置かれた状況下で一つ一つできるベストなことを積み重ねていくことがゴールにつながるという回答を頂く。面白い講演内容のときに質問の時間が長いのはすばらしいことである。
終了後はサイン&記念撮影タイムが大盛況だったが、カメラを持っていなかったので写真はあきらめ、戸隠奥社前で撮った写真にサインだけもらった。2Aを過ぎ車道を渡った先での"Have a nice race!" "Thank you."のやり取りは覚えていただいていたようだ。内容が盛りだくさんで非常に満足できた。
久々に土休日に鏑木セミナーが行われたので参加した。まずは気合を入れるために先日のアド街で放映されていた焼きカレーを腹に入れておこうと思ったら、お休みだった。仕方ないので通りから同じ路地を入ったところでいい匂いがしていたママネというパン屋でチーズパン、チョコパンを買って食べる。鎌倉についた時点でセミナーの参加費分くらいしか現金をもっていなかったので、ATMを探して奔走していたら、コンビニで使えなかったり郵便局が閉まっていたりでクラブハウスの目の前まで来ていたのに結局駅前近くまで戻る羽目になる。毎回クラブハウスにはぎりぎりについていたので今回こそはと思っていたが、またもや着替えて準備完了したのはセミナー開始時刻を少し過ぎたところ。
雨模様の天気(家の近所では既に大雨で雷鳴ってた)の中、参加者が10人いるのかなと思ったが20人近くが参加していた。まずはいつも(といっても鎌倉でのセミナーはこれが3回目の参加だが)の階段を登り疲労山、でなくて披露山を通り逗子海岸へ。この間に雨が降り始める。海岸では余裕のある人は端までダッシュでということになる。こんなところで体力を使うと後でついていけなくなるので抑えるつもりだったが、いつも突っ込んでいく面々がやけに大人しい。鏑木さんがダッシュですよといってようやく少しは速くなったが、いっこうに全体のペースが速くならないのでなぜか一番でたどり着くことができ、商品としてパワージェルをゲットした。後から心拍データを見たら193まで上がっていた。早くも足はパンパンである。
本日は葉山方面のトレイルに向かう。沢登りのようなコースから始まりなかなかワイルドであった。今日は行かなかったが三浦アルプスの方に行くと激しいアップダウンがありトレーニングには持って来いだとか。二子山の横を通りトレイルから出ると横須賀港が見えた。材木座のクラブハウスをスタートして三浦半島の反対側を見れるところまで来るとは。その後は天気が悪くなるからということで一応持ってきていたヘッドランプが役に立つ。必須というほどの暗さではなかったが、あったほうが便利というようなところは多々あった。これも最後は真っ暗だった先月の富士箱根トレイルの教訓である。特にこれからの時期、16時半くらいまでに下山できない可能性がある場合は必須だと思う。
終盤で崖のところで足を滑らせて転倒し、体が半分くらい崖からはみ出た。結構危なかった。その際に手を変なつきかたをしたのか、肘を少し痛めたようだ。そしてその先でバランスを崩した際に、手でバランスをとったら空中なのに肘付近に激痛が走った。その後はまったりと歩くことになる。まさかトレランで腕か肘を痛めて走れなくなるなんて思いもよらなかった。
トレイルを出た後は東逗子駅から鎌倉に戻る。東逗子駅までで21kmほど。電車はがら空きだったからよかったが、ずぶ濡れの集団は他の客からすれば相当異様だっただろう。鎌倉駅からは走ってクラブハウスに帰る。初めて距離をGPSで測ったが、1.7kmくらいあった。徒歩15分はやっぱないな…
セミナー終了後はクラブハウスでビールを2本飲み、さらに駅前の笑笑で飲んだ。クラブハウスにはUTMBや信越、王滝村といったところにレースに行かれた方が置いていったおみやげがあった。こういうのが置いてあってアットホームな感じなのがクラブハウスのいい所。先週からの疲れがあったためか家に帰ったら速攻で爆睡。
雨模様の天気(家の近所では既に大雨で雷鳴ってた)の中、参加者が10人いるのかなと思ったが20人近くが参加していた。まずはいつも(といっても鎌倉でのセミナーはこれが3回目の参加だが)の階段を登り疲労山、でなくて披露山を通り逗子海岸へ。この間に雨が降り始める。海岸では余裕のある人は端までダッシュでということになる。こんなところで体力を使うと後でついていけなくなるので抑えるつもりだったが、いつも突っ込んでいく面々がやけに大人しい。鏑木さんがダッシュですよといってようやく少しは速くなったが、いっこうに全体のペースが速くならないのでなぜか一番でたどり着くことができ、商品としてパワージェルをゲットした。後から心拍データを見たら193まで上がっていた。早くも足はパンパンである。
本日は葉山方面のトレイルに向かう。沢登りのようなコースから始まりなかなかワイルドであった。今日は行かなかったが三浦アルプスの方に行くと激しいアップダウンがありトレーニングには持って来いだとか。二子山の横を通りトレイルから出ると横須賀港が見えた。材木座のクラブハウスをスタートして三浦半島の反対側を見れるところまで来るとは。その後は天気が悪くなるからということで一応持ってきていたヘッドランプが役に立つ。必須というほどの暗さではなかったが、あったほうが便利というようなところは多々あった。これも最後は真っ暗だった先月の富士箱根トレイルの教訓である。特にこれからの時期、16時半くらいまでに下山できない可能性がある場合は必須だと思う。
終盤で崖のところで足を滑らせて転倒し、体が半分くらい崖からはみ出た。結構危なかった。その際に手を変なつきかたをしたのか、肘を少し痛めたようだ。そしてその先でバランスを崩した際に、手でバランスをとったら空中なのに肘付近に激痛が走った。その後はまったりと歩くことになる。まさかトレランで腕か肘を痛めて走れなくなるなんて思いもよらなかった。
トレイルを出た後は東逗子駅から鎌倉に戻る。東逗子駅までで21kmほど。電車はがら空きだったからよかったが、ずぶ濡れの集団は他の客からすれば相当異様だっただろう。鎌倉駅からは走ってクラブハウスに帰る。初めて距離をGPSで測ったが、1.7kmくらいあった。徒歩15分はやっぱないな…
セミナー終了後はクラブハウスでビールを2本飲み、さらに駅前の笑笑で飲んだ。クラブハウスにはUTMBや信越、王滝村といったところにレースに行かれた方が置いていったおみやげがあった。こういうのが置いてあってアットホームな感じなのがクラブハウスのいい所。先週からの疲れがあったためか家に帰ったら速攻で爆睡。
徹夜の富士登山から一晩が明け、4時前に起床。5時スタートと勘違いしていたため、慌てて会場へ向かう。スタート会場はまだ暗い。知り合いがちらほらいたため、声を掛ける。
スタート。選手がゲレンデの上へと回りこんで登ってくる間に我々は先回りしてゲレンデを直登して選手の到着を待つ。スタートした選手を先回りして応援できるという何とも心憎いコース設定である。早くも相馬選手が先頭に立って他の選手を引っ張るような形となっていた。
その後一旦ホテルに戻り、少し仕事してから朝食を取りすぐにチェックアウト。まずは斑尾山頂を降りたところの2Aに向かう。しかし、駐車場は一杯で路駐をしているような状況だったのでその先でコースが車道とクロスする万坂峠へ。誘導スタッフ他数名の人が立っていた。車を降りたらちょうど騒がしくなっていて何かと思ったら相馬選手がトップで通過するところだった。早くも独走態勢である。結局この日相馬選手を見たのはこれが最後である。10番くらいの選手の通過までは車道で見ていたが、その後はトレイルを100m程度入った上り坂で見ることにした。
ここの上り坂は上位選手でも走る派と歩く派に分かれていた。結局歩いてもそんなにスピードは変わっていない。逆に走ることでこの110kmという長いレースでは体力を消耗してしまうことになるのではないかと思った。上位から中盤までずっと見ていると上位の選手がいかに効率的な無駄のない動きをしているかが一目瞭然だった。トレイルの、特に長距離の場合、少しでも速く走ることよりも少しでもダメージを少なく走ることが重要となる、ということを実感させられた。応援でレースを見ることでそんなことが勉強できるなど思っていなかったが、今後も機会あれば勉強のためにレースで上位から定点観測で見てフォームを比較したいと思った。知り合いの方々も快調に通過していった。なるべく多くの知り合いをここで見ておこうと思い、結局9時40分頃までいた。
続いて関川沿いで観戦すべく移動開始。山から出て妙高の町の中心へと向かう途中のレースコースが車道沿いを通る地点でも知り合いとすれ違う。途中酒屋でロックアイスを4袋ほど買う。予定していたポイントに気づかず通り過ぎて笹ヶ峰(5A)方面に行く道に入っていたので慌ててUターンして戻りつつ、コースが橋で関川を渡る地点に行ったら都合よく駐車場があった。ここでは30位くらいの選手までは既に通過した後だった。この時点で知り合いの中でも順位に変動があり、序盤飛ばしていた人には疲れが見えていた。川沿いに着いたときは涼しい感じもしたが、すぐに日が射すと暑くなってきて、ランナーには辛い灼熱の川沿いとなっていた。したがってここで配った氷はなかなか好評だった。ただ、知り合いを優先していたため、最初は意思表示をして来ない限り(誰もしてこなかったが)配らずにいた。うらめしそうな顔で見ていく人にはあげていたし、途中からは苦しそうな人を優先的に声を掛けて渡していたが、目の前で氷をもらっている姿を見て当然のごとくもらいに来る人が多数いて若干ひいた。別に出し渋る理由もないので欲する人にはあげるが。
11時半前に知り合い2人に氷をあげたところ(最後なのでかなり小粒になってしまっていたが)でちょうどなくなったので撤収し、戸隠へと向かう。なお、車に乗り込もうとしたところでまた別の知り合いが通過したのでとりあえず声は掛けておいた。もちろん氷を配っていたことは内緒だが。戸隠奥社は最近パワースポットとしてメディアによく取り上げられているらしく、駐車場は当然満杯で路駐が大いにあふれているという状況だった。運よく駐車場に停めることができ、試走会で笹ソフトを食した鳥居の前に14時10分頃に着く。相馬選手通過から20分ほどが経ったところであった。しかも去年よりだいぶ遅い通過だったということで相馬選手の速さには驚かされるばかりである。ほどなくしてヤマケンさんが通過。ちょうどコースが直角に折れ曲がる地点で、なおかつ人の多い奥社参道を通るのでボランティアスタッフが配置されていて、その方(トレラン未経験ながら関東某所からボランティアのためここまで来たらしい)としゃべりながら後続の通過を待つ。なお、通過が早いひとほどカオスと化した参道を通る必要があった。何がここまでこの神社を熱くさせたのか。
クリッシーモールは15時半頃通過したが、走りが非常にダイナミックでパワフルだった。
さすがに川沿いのポイントから40kmの山岳区間を経ていることもあり、知り合いの方たちは現れない。50位くらいまでの選手の中でも2~3時間の差が開いていたが、通過していくときのスピードは大して変わらない。どこでここまでの時間差が着いたのか。ただ、上位の選手は基本的に力みがない軽やかな走りをしていたことだけは確かだ。
16時45分にようやく知り合いの一人目が通過したが、その後18時前に暗くなるまでに通過したのは合計4名のみである。暗くなってからはお互いに顔もよく見えないので声を掛けられずに通過していく人もちらほら。ちなみにここでは水の他にハチミツ梅を用意していて、わざわざ種も取り除くという手の込んだ準備をしていたが、みんな走って通過する区間なので誰にもあげることはなかった。
知り合いのゴール第一号を見るためゴール会場へと向かう。ここでも30位くらいがゴールしたところに着く。ほどなくして一人目が到着。15時間半ほどでのゴールだが終始安定した走りが印象的だった。奥社のところでも他の知り合いはだいぶ遅くなっていたようだが、18時間半ほど経過したところで寒さに体を動かしたくなったこともあり、知り合いを迎えるべくゴールから逆走を始める。1.5kmほど林道を入ったところで知り合いと出会い、そのまま併走しながらゴールへと戻る。ちょうど19時間ぎりぎりでのゴールとなった。最初のポイントでは知り合いの中で2番目に通過した人で、本調子ならはるかに早くゴールしていただろうと思うが、最後はバテバテだったようだ。その後もう一回逆走して知り合いを迎えに行く。今度会ったのは最初のポイントで1番最初に元気よく上り坂を走って通過したFプロである。こちらも途中で使い切ってボロボロになっていた。
結局制限時間までに知り合いはほぼ全員完走した。普段速い人がどこで飛ばしすぎたのかボロボロになっていて、一方で普段はゆるい人がそのまま持続して制限時間をクリアしているのが印象的であった。110kmという長い距離を走るには安定こそが最も重要である。上位選手に共通するのは無理に飛ばしていないということである。自分にとっても今後レースに出る上で大いにヒントとなった。それにしても皆無事に帰ってきたので大変感動的であった。
レース以外の部分についてはまた後日。
スタート。選手がゲレンデの上へと回りこんで登ってくる間に我々は先回りしてゲレンデを直登して選手の到着を待つ。スタートした選手を先回りして応援できるという何とも心憎いコース設定である。早くも相馬選手が先頭に立って他の選手を引っ張るような形となっていた。
その後一旦ホテルに戻り、少し仕事してから朝食を取りすぐにチェックアウト。まずは斑尾山頂を降りたところの2Aに向かう。しかし、駐車場は一杯で路駐をしているような状況だったのでその先でコースが車道とクロスする万坂峠へ。誘導スタッフ他数名の人が立っていた。車を降りたらちょうど騒がしくなっていて何かと思ったら相馬選手がトップで通過するところだった。早くも独走態勢である。結局この日相馬選手を見たのはこれが最後である。10番くらいの選手の通過までは車道で見ていたが、その後はトレイルを100m程度入った上り坂で見ることにした。
ここの上り坂は上位選手でも走る派と歩く派に分かれていた。結局歩いてもそんなにスピードは変わっていない。逆に走ることでこの110kmという長いレースでは体力を消耗してしまうことになるのではないかと思った。上位から中盤までずっと見ていると上位の選手がいかに効率的な無駄のない動きをしているかが一目瞭然だった。トレイルの、特に長距離の場合、少しでも速く走ることよりも少しでもダメージを少なく走ることが重要となる、ということを実感させられた。応援でレースを見ることでそんなことが勉強できるなど思っていなかったが、今後も機会あれば勉強のためにレースで上位から定点観測で見てフォームを比較したいと思った。知り合いの方々も快調に通過していった。なるべく多くの知り合いをここで見ておこうと思い、結局9時40分頃までいた。
続いて関川沿いで観戦すべく移動開始。山から出て妙高の町の中心へと向かう途中のレースコースが車道沿いを通る地点でも知り合いとすれ違う。途中酒屋でロックアイスを4袋ほど買う。予定していたポイントに気づかず通り過ぎて笹ヶ峰(5A)方面に行く道に入っていたので慌ててUターンして戻りつつ、コースが橋で関川を渡る地点に行ったら都合よく駐車場があった。ここでは30位くらいの選手までは既に通過した後だった。この時点で知り合いの中でも順位に変動があり、序盤飛ばしていた人には疲れが見えていた。川沿いに着いたときは涼しい感じもしたが、すぐに日が射すと暑くなってきて、ランナーには辛い灼熱の川沿いとなっていた。したがってここで配った氷はなかなか好評だった。ただ、知り合いを優先していたため、最初は意思表示をして来ない限り(誰もしてこなかったが)配らずにいた。うらめしそうな顔で見ていく人にはあげていたし、途中からは苦しそうな人を優先的に声を掛けて渡していたが、目の前で氷をもらっている姿を見て当然のごとくもらいに来る人が多数いて若干ひいた。別に出し渋る理由もないので欲する人にはあげるが。
11時半前に知り合い2人に氷をあげたところ(最後なのでかなり小粒になってしまっていたが)でちょうどなくなったので撤収し、戸隠へと向かう。なお、車に乗り込もうとしたところでまた別の知り合いが通過したのでとりあえず声は掛けておいた。もちろん氷を配っていたことは内緒だが。戸隠奥社は最近パワースポットとしてメディアによく取り上げられているらしく、駐車場は当然満杯で路駐が大いにあふれているという状況だった。運よく駐車場に停めることができ、試走会で笹ソフトを食した鳥居の前に14時10分頃に着く。相馬選手通過から20分ほどが経ったところであった。しかも去年よりだいぶ遅い通過だったということで相馬選手の速さには驚かされるばかりである。ほどなくしてヤマケンさんが通過。ちょうどコースが直角に折れ曲がる地点で、なおかつ人の多い奥社参道を通るのでボランティアスタッフが配置されていて、その方(トレラン未経験ながら関東某所からボランティアのためここまで来たらしい)としゃべりながら後続の通過を待つ。なお、通過が早いひとほどカオスと化した参道を通る必要があった。何がここまでこの神社を熱くさせたのか。
クリッシーモールは15時半頃通過したが、走りが非常にダイナミックでパワフルだった。
さすがに川沿いのポイントから40kmの山岳区間を経ていることもあり、知り合いの方たちは現れない。50位くらいまでの選手の中でも2~3時間の差が開いていたが、通過していくときのスピードは大して変わらない。どこでここまでの時間差が着いたのか。ただ、上位の選手は基本的に力みがない軽やかな走りをしていたことだけは確かだ。
16時45分にようやく知り合いの一人目が通過したが、その後18時前に暗くなるまでに通過したのは合計4名のみである。暗くなってからはお互いに顔もよく見えないので声を掛けられずに通過していく人もちらほら。ちなみにここでは水の他にハチミツ梅を用意していて、わざわざ種も取り除くという手の込んだ準備をしていたが、みんな走って通過する区間なので誰にもあげることはなかった。
知り合いのゴール第一号を見るためゴール会場へと向かう。ここでも30位くらいがゴールしたところに着く。ほどなくして一人目が到着。15時間半ほどでのゴールだが終始安定した走りが印象的だった。奥社のところでも他の知り合いはだいぶ遅くなっていたようだが、18時間半ほど経過したところで寒さに体を動かしたくなったこともあり、知り合いを迎えるべくゴールから逆走を始める。1.5kmほど林道を入ったところで知り合いと出会い、そのまま併走しながらゴールへと戻る。ちょうど19時間ぎりぎりでのゴールとなった。最初のポイントでは知り合いの中で2番目に通過した人で、本調子ならはるかに早くゴールしていただろうと思うが、最後はバテバテだったようだ。その後もう一回逆走して知り合いを迎えに行く。今度会ったのは最初のポイントで1番最初に元気よく上り坂を走って通過したFプロである。こちらも途中で使い切ってボロボロになっていた。
結局制限時間までに知り合いはほぼ全員完走した。普段速い人がどこで飛ばしすぎたのかボロボロになっていて、一方で普段はゆるい人がそのまま持続して制限時間をクリアしているのが印象的であった。110kmという長い距離を走るには安定こそが最も重要である。上位選手に共通するのは無理に飛ばしていないということである。自分にとっても今後レースに出る上で大いにヒントとなった。それにしても皆無事に帰ってきたので大変感動的であった。
レース以外の部分についてはまた後日。
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